由緒・年間行事

由緒・年間行事

ご祭神 応神天皇

本殿

 湊八幡神社由緒は兵庫区兵庫町(旧湊町1丁目)に在り、御祭神は応神天皇をお祀りしております。 神功皇后三韓征伐の帰途、摂津国岡野村にお立寄りになられた時、応神天皇がお生まれにならんとしたため、その地の霊石をお探しになりご誕生の延期をお祈りしました。
 その祈りが通じた為、その後其の霊石を岡野村より福原街東溝下旧長谷川楼の辺りに迎えて一社を創立し、その後現在の地に奉遷、湊玉生八幡宮と称されておりました。そのことは天和二年壬戌八月十五日識すところの旧記により天和以前に創祠されていたことを確認できます。
 その後社頭が荒廃したため奉行河野通政の援助と崇敬者により社殿を改修、更に寛永元年に至って再建され、明治六年村社に、大正四年幣帛共進社に指定されました。
 しかしながら規模的に小社すぎた為、昭和十三年境内地を三百十四坪に拡張するとともに、社殿四十六坪、社務所四十八坪その他神門、透塀、玉垣等を建築し、兵庫本町筋に異彩を放っていました。
 しかし、昭和二十年三月の戦災により社宝とともにその一切を焼失し現在の社殿は昭和三十二年から三十七年にかけて再建されたものであります。

迷い子のしるべ

 湊八幡神社は元西国街道の兵庫の町への東入口に当り、徳川時代には番所があり要衝でありました。警察活動の行き届かなかった時代、迷い子さがしの方法として考えられ、神社塀外に建っていたのがこの建て石であります。
惜しくも昭和二十年三月十七日の戦災により破損しましたが、我が国において現存しているものは数少なく当時の風俗を物語る貴重な資料であります。
 当時迷い子ができた家では、ここに来て子供の特徴や年齢、住所、氏名を紙に書いて「たづぬる方」の上のくぼみに張付けます。子供を発見した人はここへ連れて来て、幸いにたづねる家の人に会えばすぐ引き渡し、もし発見者の方が早ければ「しらする方」の上のくぼみに住所、氏名などを紙に書いて張付けておきます。双方がここへ来るので、たいていの場合すぐ解決がついたようです。
 尚、左右のくぼみは張付けた紙が風に吹き飛ばされないためでありましょう。
 昭和四十六年四月これを修復すると共に、その左側に同一のものを併せ建立し永く保存しようとするものであります。

年間行事

1月1日:元旦祭
1月18、19日:厄除大祭
9月14日:例祭
12月31日:除夜祭

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